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亀割石

亀割石

その昔、人吉の商人でもあった林正盛なる人物は、急流球磨川の開削に着手するも開削は大いに困難を極め、特に大瀬の「亀石」に手を焼きます。ある日、夢枕に立ったキツネが「亀石の上で大火を焚いて水をかけ、これを三度繰り返せ」というお告げを実践し亀石割に成功したと言われています。お告げは、信じる人のみ報われるのですね!


球磨村の冬

球磨村の冬

球磨村の冬は、幻想的な空間がたくさんです。球磨川を中心とした谷間に真っ白な湯気の立ち上がる焼酎蔵に温泉は、「ホット」出来る村百選の一つです。お勧めの冬のコースとして、「必勝祈願の旅」で一勝地駅(学生服借出できます)からスタートして、セキソの地蔵→→渕田酒造本店→→勝地阿蘇神社→→一勝地温泉かわせみ終点が楽しめます。


球磨村の秋

球磨村の秋

すべてが感動感激の球磨村の秋は、食べ物・観光・お散歩・温泉などなどがひとつになる季節です。どのような過ごし方をしても人々に「喜び」を与えてくれます。それはなぜ・・・なぜならば山間部の谷&山&川の自然が圧巻すぎるからです。行った人でないと味わえないすべての球磨村の秋へちょつとお出かけしませんか。


清正公岩

清正公岩

加藤清正が大軍を率いて人吉を攻めようとした際、この岩に登ってい上流を見渡しましたが、あまりに険しい山と道そして球磨川の激流を目の当たりにし、「攻めてしかたがない」と引き返したと伝えられています。岩の頂上には清正公を祀る祠(ほこら)があります。自然の要塞球磨村にはすごい岩があるんですね。


石の交流館やまなみ

石の交流館やまなみ

米蔵を移築して活用している多目的イベントスペースで、「人々の交流」と「文化の創造」による地域の振興と活性化を目的にした施設です。音楽コンサート、展示会、各種パーティーや忘新年会、レストランウエディング、各種セミナーなど多目的に使う事ができます。なかなか味のある石の館で、秘境球磨村での個人パーティーなどかなりの贅沢な事いかがでしょうか。宴会として行う場合には、使用料金はかかりませんよ。嬉しい・・・!

 


茂田太郎と千代女塚

♡ラブラブ♡

球磨村に古くから伝わる昔話第2弾です。むかしむかしのその昔、平家の落人で茂田太郎と同じく落人の千代女がおり、二人は大変な恋仲で時々お忍びで会っていたそうです。二人が座って語り合ったと伝えられる大きな「落合石」が、球磨村中津から茂田に登る山道の脇に、千代女塚として今でも残っています。ここに座って「愛」を語ると願いがかなうと言う噂があり、知る人ぞ知るラブラブな所です。


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球磨村昔話・姑落とし

球磨村に古くから伝わる昔話で、大瀬地区に姑落しの崖があります。その昔、道と言えば断崖を危うげに巡る土の橋だけでした。嫁いびりの意地悪な姑が、ある日この崖から嫁を突き落とそうとしましたが足を滑らせて自分が落ちてしまったという話が伝えられています。くわばら・くわばら・・すごいお話ですね!


球磨川下り終点

くま川下り終点

もともと江戸時代に人や物資を運ぶために運行していた運搬船でしたが、明治41年から鉄道が走るようになった事でその使命がほとんどなくなり運搬に使われていた小舟が観光用に変化したのが球磨川の起源です。日本三大急流のひとつ、球磨川を木船で下るダイナミック・・・その終点が球磨村です。


人吉層

古代湖

古代、人吉盆地は湖だった事は皆さんご存知でしょうか。自分の「目」で確認できるのが球磨村総合運動公園内に露出している人吉層の地層です。その昔、人吉盆地に水がたまり、人吉湖と呼ばれる大きな湖だった時代(約260年前~約70万年前)に湖の底に流れ込んだ泥、砂、小石や火山灰などが堆積してできた地層です。真水に堆積した地層であることを示すドブガイ、カワニナ、タニシ、水草等の化石などが入っており確認する事が出来ます。地球の歴史に触れる球磨村の地質・・・すごいものがあります。


土肥弥太

とびたや

あまり知られていない横井の開拓者として、源氏の末裔でもあり横井地区に隠れ住んでいた土肥弥太(とびやた)がいました。その昔朝鮮征伐の際に出陣し、その帰途で病に侵され亡くなりました。のちに、横井に住む人達は横井の開拓者として土肥弥太を崇敬しています。今でも残るこの石碑に、土肥弥太の偉大さを感じます。